オラオラの泉

オラオラの気になったことを書いていこうとおもいます。

和食の起源~日本料理の発展とはいかに~

懐石料理、会席料理、精進料理・・・

日本料理っていろいろあるんですね。なんにでも原点はあるのですがやっぱりいろいろ広がっていくんですね!!

そんな日本食の原点はどのようにして現在まで広がっていったのでしょうか?

 

 

1.日本料理の原点

 

日本料理の原点とは、新鮮な食材の味や色を活かすことです。どういうことかというと、取ったばかりの魚は新鮮なうちに食べて、野菜は色が悪くならないうちに食べるということです。

 

 

 

2.日本料理の広がり

 

縄文時代には木の実をとったりなど自然の採取物を食べていた時代でした。それから、弥生時代に主食と副食が分かれて平安時代には貴族のハレの日の宴である「大饗料理」が出現しました。この大饗料理は大きな食卓の上に2人以上の人数分の食べ物が置かれたり、料理の数が偶数であったり、椅子に座って食べるなど中国の影響を強く受けたものになっていました。けれども、調理は焼くなどの簡単な加熱調理や生もの、酢の物など揚げるといった積極的な調理はされていません。

そんな平安時代でしたが、後半になると包丁家という日本料理の流派が始まり、料理ごとの料理法や作法が作られていきました。鎌倉時代になると禅宗寺院では茶道の原点や食事のマナーをしっかりと打ち立てられ武家社会に強い影響を与えました。この禅宗寺院から「精進料理」が生まれました。時が流れ、幕府が鎌倉から京都に移ると、武家と公家の文化のごちゃまぜがすぼみました。さらに、地方と京都の交流が盛んになり、食文化に影響を与えました。これにより、公家の包丁家がする饗宴料理は、武家饗宴のモデルとなり、本膳料理様式がつくられました。その時代の流れの中で献立に従い、順次供される方法をとる懐石料理が生まれました。幕末になると町人も経済力がついてきて、料理屋さんも利用するようになりました。そして、料理屋さんでは懐石料理の影響を受けて、酒宴を中心にお酒が出され、最後に食事をする方法の会席料理が生まれました。

この会席料理が現在の料理屋さんでの宴の形となっています。その一方で、日常における「一汁三菜」は本膳料理、懐石料理の流れを含んでいるのです。

 

日本の料理は時代の流れとともに変化してきたのですね。清少納言の「枕草子」からも膳部が飯と汁と葉で成り立っていると書かれており、日本食の原型ができていたんですね。時代のつくった習慣が今もなお息づいているのってとても素敵ですね。

 

この本を参考にしました↓↓